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My family and friends Archive

撮影できませんでした

昨日の午前中、娘の保育園で「運動会予行練習」がありました。我が家は、何のアレか知りませんけど、お手伝いしなければならなくて、本来なら嫁が行くのですけど赤ん坊のことがあるので、私が仕事半休して参加。
他に父母の姿無く、勝手分からず、たいしてやることもなく…ボーっと子供たちや娘のことを見ていたのでした。積極的でない。社交的でない。快活でない。と評価下げたろうか、やや反省。

お仕事
現在、文章学校姉妹サイト?「村松恒平[本の企画堂]」Wordpressを採用、デザイン調整でハマッております。
キルギスタンツアーは、また日程変更。三進トラベルサービスとしては、なんとしてもヨン様との邂逅を果たしたいのです。
今月28日に「文章ゼミX」の飲み会があって、順当?に私が幹事、あとで気付けばその日は結婚記念日だったりして。嫁の承諾得るも、勤務先のプロジェクトが大詰めで28日出勤の可能性あり。あーあ。

娘のため???

…先週から、指しゃぶりがストップしていた娘も、今週になって帰りが遅くなり、塗りなおしをしてやれなかった間に、再びしゃぶるようになってしまった。
2本の前歯は、明らかに前に出てきている。上顎の形が、指で変形しているのである。とても苛立つので、昨夜だましだまし、改めて「バイターストップ」を塗ってやった。
…母親が仕事をしていない場合、子供を保育園に預けることができない。
娘の保育園について、以前から分かっていたことだけれども、嫁が役所で確認したところによると、赤ん坊がいるから今年の12月までは何もしないでいいらしい。その後は「求職中」という申請をして、最大3ヶ月間猶予があるという。
今の保育園は0歳児も預かってくれるけど、やはり抵抗がある。上の娘も1歳半まで母親のもとで育ったし、そもそも嫁が来年4月から働かなければならない根拠はない。だからといって、子育てに専念するなら、上の娘は保育園を退園させられてしまう。
今からでは近所の公立幼稚園なんて無理だし、娘が不憫だし、遅い時間まで預けられない幼稚園の仕組みは、母親のパートも難しい。
そこで一応検討したのが、オフィスちとくの法人化なのです。嫁を勤務させる(笑)。
個人事業での在職証明とか、個人事業主になってしまう等、保育園を追い出されないようにする手立てはあるけれど、支払う保育料は倍くらいという話もあり、できれば避けたい。有限だろうと、1円株式だろうと、会社勤務であれば保育園は継続できる。
私の現勤務先、本社に3ヶ月、今はまた新宿で作業員。本心から、会社に貢献しようという気持ちが全く無いことだし、きっかけとしてはいい塩梅かも。

23日土曜日の記憶がほとんどない。気持ち悪いし、苛立つ。
24日は嫁と子供たちに実家へ行ってもらって、終日お仕事。
25日から新宿で作業員勤務。今日でやっと一週間、余裕が無くて、あっというまに過ぎてしまった。そういえば、水曜日に病院行ったら、経過がよいのでしばらく手術は見送りましょう、とのこと。

指しゃぶりをやめさせたくて

3連休はほとんど何もしませんでした。俺はオマタがちくちく痛むし、退院したばかりの娘は外出禁止令、赤ん坊は相変わらずだけど、嫁はさぞかしストレスだったでしょう。そもそも外出できるような天気じゃなかったし。
最後の日は、さすがに嫁は子供を連れて、日帰りで実家へ。別に険悪なものじゃなく、よく行って貰うのです。嫁と子供の退屈しのぎと私の「お仕事」を両立させる手段として。嫁のお母様には申し訳ないのですけど。
お仕事は、三進トラベルサービス「ヨン様ドラマ・キルギスタンロケ地ツアー」の改訂依頼と、仕事じゃないけど私の、「文章ゼミ_X」提出課題作成。
この日、2日前にAmazonで購入した、指しゃぶり防止ツール「バイターストップ」が到着。透明のマニキュアで、舐めると強烈な渋みがお口いっぱいに広がるスグレモノ。
ところが、この日は嫁の実家からの帰宅が遅くて、使用出来ず。娘が寝てから嫁に説明したわけですけど、こっちが身構えちゃって、すこしギクシャクしたのです。やっぱ、嫁は看護士だし、俺ほど指しゃぶりを危惧してないので、あやしい商品と思って、非協力的だろうと俺が疑心暗鬼だったようで。ともかく、俺の計画は伝えたのです。
①これ見よがしに、マニキュアを目立つ場所に置いておく。
②そのうち娘が見つけて「これなあに」と聞くから、親指専用のマニキュアだよ、という。
③娘は「塗ってみるう」と言うから、指しゃぶり出来なくなることを説明し、それでもいいか更に問う。
④「指しゃぶりしないから塗ってえ」と言ったら、塗ってやる。

火曜日は通院日で、勤務先午前休。医師によれば、開口部がほとんど塞がっているので、このまま様子見。この日から、搾り出しも薬もなくなったのです。10月中旬移行手術予定。
午後、嫁から連絡、娘はまんまと計画通りの反応で、早速塗ったとのこと。その晩、指をしゃぶれない娘の寝つきが頗る悪く、明け方にも「お口が苦い!」と言ってギャア泣き。トホホ。

本日、久々のフル出勤。先週からずっと休んだり病院行ったりだったので、ほぼ2週間ぶりに国立駅から乗車したというわけです。娘は、術後の受診、特に問題なく風呂解禁となった様子。俺は、来週から再び新宿勤務を言い渡された。いいんだか悪いんだか、判断できません、突然すぎて。
それから、文章ゼミ提出原稿の講評が、編集長から出て「詩人chitokuらしくない」旨のお達し。ダメ出しなのだけれども、何故か嬉しく気合入っちゃったりして。

お祓いしたい気分

今日は会社休んで、娘の小児外科受診に付き合いました。
先日かかりつけ医から紹介状を貰ってあり、改めてソケイヘルニヤの精査を受けることになっていたわけです。
で、新生児がいるというので、いつ終わるか分からん診察に母一人じゃ無理ということで、私も。午後からなので、午前中は自分の股のデキモノの再診。
先日薬貰って、きちんと服用していたのに、デキモノは日に日に大きく紅く痛みを増していたのです。ドクターによると、切ってしまいたいが炎症が治まらないことには手のつけようがない、とか。なぜか剃毛までして、点滴打って、本日はおしまい。
そのあと家族と合流して、飯食って、市内の別の病院へ。
2時過ぎてやっと診察、結果はクロ。しかも腫れてる左ソケイ部だけじゃなく右もヘルニアときた。かわいそうに、今日は採血までして一週間後の手術と入院2泊3日決定、それでも以前インフルエンザの痙攣で入院した病院だからか、どことなく嬉しそう。かえってそれが切なかったりして。
それにしても、股が痛い。普通に歩けないのです。パンツや陰毛が触れるとピリピリして、剃ったからなほさら。
三進トラベルサービスの勝負ツアー「ヨン様主演ドラマ キルギスタンロケ地訪問ツアー」も佳境、至急!のコンテンツ差し替え案件が頻繁に入ってきております。インターネット予約は8日から、詳細は↑リンクをクリック!(PR)
それから「電気蚯蚓は宇宙を夢見る」で、ついにはなさん連続掲載成る。独走体勢阻止といきたいけれども、こんな状態なのでなかなか書けないのです、×造シリーズ。(PR)
明日、「痛かったらまた点滴に来てください、明日は午前中だけよ」と言われたままに、点滴に行くつもり。娘の手術の件話して、バッティングしないよう段取りつけなければならないのです。

家族三人おマタ疾患

先週金曜の夜、レスラーちとく復活の予定日だったのですけど、着替えと印鑑を忘れて、あえなくパス。落胆しつつ帰宅して風呂に入ると、足の付け根の出来物が腫れていることに気がついた。2年位前から、パチンコ玉くらいのシコリがあったのですけど、去年までにはビー玉に、今はウズラの卵大になっていて、切除を決意、レスリング行かなくて良かったかも。
もっと驚きは、たまたまその時娘の足の付け根付近にも、やっぱりウズラの卵大のシコリじゃなくて膨らみ発見、すぐに鼠径ヘルペスを疑った。
実はも少し前に、息子の片タマが無いことが判明していて、ネットでその調べものしてる時に「停留睾丸」関連ネタとして鼠径ヘルペスの記事もだいたい一緒に掲載されていたから。どちらも小さい子供にありがちらしい。
というわけで、お医者に見てもらう優先度は娘に違いなかったけど、生憎かかりつけの医院はどこも休診、本人はなんともないようなので、月曜日に予約。息子は、半年間様子を見ることになってるので、土曜日は俺だけ医者へ。
ウズラの卵は、見込みどおり脂肪腫で、若干炎症を起こしているので、クスリ飲んで炎症が治まってから取りましょう、と。その午後は、家族みんな立川で合流、外食して図書館で夕方まで娘に本読み。
日曜日は何も予定がなかったので、娘の自転車のゴロ取って練習させたり、息子のお守りやら、散歩やら、のんびり。
おマタ疾患、嫁に訪れないことを願うのですけど…

土日の夜もお仕事モリモリ、以下だいたい完了。
三進トラベルサービス…ヨン様ドラマツアーINキルギス共和国案内ページ作成
文章学校…ビジネス単行本の企画・執筆サポート「村松恒平[本の企画堂]」

平日こそ休息日

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19日:嫁と娘をプールに行かすため、息子の世話を買って出る。
20日:府中のお祭りに家族で出掛ける。一日中外にいた気がするが、遊んだ気はしない、少なくとも俺は。
写真は、府中のお祭りで路上に膨らんでいた風船ハウス?ではしゃぐ娘と、京王線へ登る階段で嫁と娘を待つ俺と息子。

沈殿転じて大はしゃぎの金曜夜、土曜沈殿、日曜また

金曜日
秘伝メルマガ通算200号記念打ち上げは無事終了、俺はダンマリモードにならず、よく喋りました。村松さん系の顔見知りだからというより、本名も素性もよく知らない、たまにしか合わない人々だからこそ、何でも好き勝手に発言できるのだと悟りました。俺にはいないけど、「飲み友達」という区分はこういう感じなのかも。初めて乗った「三鷹止まり」の終電、タクシー利用で帰宅。
土曜日
カンカン照りの真夏日でしたが、一歩も外に出ず。午前中は嫁と娘を買い物に行かせて、午後も同様プールに行かせて、終日2ヶ月児の世話をしていたわけです。キツい日差しを直に浴びなかったことのさびしさ。
日曜日
瀑 友 会の面々と奥多摩でバーベキュー。往時のコアメンバーも皆所帯持ちで家族同伴、場所が、沢のゲレンデと呼ばれて久しい水根沢であっても遡行装備持参せず。ところが、若いの二人が登るというので、いてもたってもいられなくなって、俺も手ぶらでパンツだけ脱いで、普通の格好で参加。。。水遊び用に地下足袋とワラジは持ってきてあったし、ヘルメットだけ借りて、大いに遊んできたのでした。全般的には、子供たちもご婦人方も楽しそうで何より。
おかげで、14時くらいには帰るつもりだったのに、現地解散が18時、外食して帰宅が10時でした。。。

シアワセといえばシアワセ

娘に悩んでおります。
嫁入院の前後から、ちっとも言うこと聞かないばかりか、驚くほどの困らせ上手になってしまって。
「赤ちゃん返り」?てなもんじゃあないのです。今朝も、嫁は外出できない状態なのを知っているのに、パパとじゃヤダと保育園に行きたがらない。無理やり連れて行ったけれども、勤務先での遅刻常習者です。
帰れば、夕方から夕食くらいまで、嫁の母が面倒を見にきてくれているのですけど、やっぱり傍若無人らしい。それでも嫁の負担は軽減されているから、有難いことです。
で、俺が帰るころには嫁の母は帰宅していて、嫁と風呂か寝る準備という段取りで、9時半くらいには布団に行かせるのですけど、ちっとも寝る気配無し。
嫁は2・3時間おきに乳を所望する赤ん坊の世話で、常時不眠気味、娘と添い寝しても先に寝てしまう状態で、娘がぐずるので俺が添い寝しようとしても「あっち行ってて!」と蹴飛ばされ、やさしく声をかけても無視される始末。仕方なく娘を持ち上げて、暗い3畳間に閉じ込めたり、方に担いで尻たたきなどしようものなら、火がついたように大騒ぎで逆効果?
その泣き声で嫁も半狂乱、乱暴やめてと俺が嫁に怒られ娘からなじられ…とほほ
結局、あらゆる電気消して、俺も台所の踏み台などに腰掛けて息を殺し、隣の部屋で嫁が苛立ちつつ娘の寝ぐずに付き合って、そのうち赤ん坊が泣き出して嫁が世話を始めると、「わたしも」と起き出して、「だめ」「ヤダ」…「分かったから、手を出さないで!」「ねえのど渇いた」…と、深夜まで続くわけです。
何がいけないんだろう、と落ち着いて検証したいのだけど、そういう時間が取りにくい日々でもあり、なかなか…
ひとつ、以前から分かっていることがあるのです。
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保育園の昼寝時間が長すぎやしないか?ということ。去年は毎日2時間程度、昼寝させられていたと聞いたのですけど、それでも夜寝なくて困っておりました。土日はなるべく昼寝させないように必死で娘に付き合って、そうすると8時9時には寝てしまうのです。
朝、遅くとも7時には起こしているので、どんなに興奮していようとも、4歳になったばかりの子供が、11時過ぎても冴え冴え起きているなんて、昼寝無しには有り得ないと考えます。
とは言っても、「ウチの子だけは昼寝させないで、遊びに付き合ってくれ」とは、さすがに頼めない。
また愚痴っぽくなったので、幸せそうな写真を載せることにします。
2006-0527-1219.jpg(赤ん坊の布団なのです。お、お前じゃないるれ)

続・一家四人状態スタート

昨日、土曜日退院だったわけです、長男が。黄疸の程度により要検査だったとのこと。嫁はそれより先、木曜日に退院してました。その日の娘の「はしゃぎっぷり」が印象的。
なのでココ一週間の慌しい日々の記憶が既に断片的、それでも書き留めずにいられない居心地の悪さを、とにかく落ち着かせようとPCに向かっているのです。
月曜火曜水曜は、朝に食わない娘を何とか食べさせ保育園へ連れて行って、夜は嫁の母に面倒を見てもらっている自宅に帰り、飯食って、娘を風呂に入れて、寝かしつけ…
木曜は会社休んで、娘に悟られないように、いつもと同じように保育園に連れて行ってから、嫁の退院で入院先へ。聞くと、黄疸検査により長男の退院は見送り、嫁だけ退院となりました。まあ、長女が甘えられるのも今日明日が最後と割り切って納得。夜はわざわざ、娘の好きなベーカリーレストランでお食事。
金曜は、嫁が保育園の送りをしたので、久々にまともな出勤。来週からはそうはいかないのです、新生児がいるので。夜は覚えてないのです。「明日は弟迎えに行くぞ」と諭して、娘は普通に寝たような…
この日、村松さんの新イベント「言葉の会」初回だったのです。とても参加したかったのですけどさすがに断念したのでした。
土曜日、遅めに起きて、昼前に長男を迎えに三人で車で出発。で、めでたく退院、予定日より早かったせいか娘の時より小さく見えたけど、嫁によれば、ココが母乳推進でミルクを与えていないのに対し、前回娘の産院は最初から哺乳瓶でミルクじゃんじゃん飲ませていたから、とのこと。
家に帰って、昼寝。俺は寝ないでお仕事するはずだったけど、不覚にも熟睡。一度起きたけど、俺だけ再び惰眠、夜の7時になってやっと起きたのです。ただ、もうそのころは、授乳やおむつ取替えや、それに伴う娘の落ち着きのなさで、嫁は苛立ち気味、娘も一層落ち着かず、俺も怒りっぱなしで、娘は怒られてばかり泣いてばかりで…
娘は1時半頃まで寝なかったのです。興奮して仕方が無いのは分かるけど、言うことちっとも聞かないし、俺を無視するし、心より困惑申し上げ候。昼寝させなきゃ良かった。かく言う俺も、たくさん昼寝したのに、この夜も爆睡、ちっともお仕事しなかったのでした。
本日日曜日、やっぱり遅めに起きて、午前中は娘と散歩。外出にだけは素直について来る。近くの産院で、レンタルベビーベッドのカタログをゲット、ゆっくり歩いて帰ってくると、嫁の母が手伝いで家に来ていたのでした。
娘はたいそう喜んでいたけれど、俺は複雑。ご飯買ってきたからと、朝食後3時間で昼飯になるし、嫁の動きにいちいち「やるからやるから」と手を出して、でもそれ本当に全部してるわけじゃないし、なんかとても引いちゃう俺でした。娘の時は、出産後しばらく実家にいたから、俺は楽だったかもしれない。
午後3時頃だったか、出生届や時計の修理引取りで用事があったので、娘と俺で立川へ。本当は独りでのんびりしたかったけど、長男のことと嫁の母への牽制というか気遣いもあって、娘を連れ出したのでした。だって、嫁とその母がいたら、それしかやること無い。
6時半ごろ?戻ってきて娘と水風呂。上がると、眠くなった娘のグズリが始まって、テーブルは早くも夕食準備完了。「なんにも食べない!」「このまま寝る!」「眠い!」と、頭濡れたまんまの裸の娘に、だれも得策なし、特効薬なし。寝るのは構わんけど、腹減りで夜中に起きられるのが困るんです。
さんざん大騒ぎしたけれども、嫁により落ち着いた娘は、それなりに飯食って、8時半ごろ就寝。
スグお仕事開始とは行かないのが、一家四人のつらいトコ。今度は、長男の赤ん坊が乳を欲したり、オシッコうんちで泣いたり、その都度嫁がばたばた面倒見て、娘が起きそうになったり、俺はそれらに対して為すすべなく、落ち着かず…
なんていうか、こういう行動記録?好きじゃないのです。と言っても、既にけっこう書いてしまっているけれども、長い愚痴になったようで、我ながらウンザリなのです。
スポットで、瞬間瞬間で、もっと心の動いた場面があった!そういう記憶に限って、具体的でないのです。

一家四人状態スタート

5月20日の早朝に、第二子は誕生したようです。そのころ俺は、自宅で仮眠中だったのです。
7時過ぎ頃、嫁のお母さんからの電話で、無事出産を知り、7時半頃には保育園からの運動会決行の連絡、うつらうつらしながら、晴れそうな天気をうらやんでおりました。娘が納得するだろうか、運動会の欠席…
決断し兼ねつつ娘を起こしてみたけれど、「かあかじゃなきゃダメ!」と狂おしく泣き叫ぶばかり、参加できるわけなかったのでした。
それでも10時半くらいには落ち着いて、「散歩行くか?」の呼びかけに、やっとまともに反応。娘、というより子供は外が大好きなのです。しかも夏のような無風晴天、こっちも汗ダラダラ。
いつものコースを自転車漕いで、でもやっぱりいつもと違う様子、かあかはいないし、運動会いけないし、気の毒ではありました。
15時から16時まで、ガラス越しに新生児を見ることができるというので、それにあわせてお見舞いに出発。息子初対面でした。赤ん坊だからか、娘の新生児時代とまったく同じ顔だったりして。
帰りの車で娘は昏睡状態、夕方から嫁のお母さんが来てくれて、娘を起こして三人での夕食となり、俺もやっと落ち着いたのでした。
その晩は、娘に絵本読んで添い寝してる最中俺も…
次の日曜日も似たようなもんでした。お散歩は前の日より元気だったかも。またしても炎天下、団地のお友達とも仲良く遊んでいた様子。先週の入院時に書いてもらった、嫁から娘への手紙を読ませた甲斐あってか、娘の聞き分けもよく、俺は洗濯、炊事に専念できたし、3時にはお見舞いへ。嫁のお母さんやその弟に当たるおじさんも見えていて、帰りにファミリーレストランへ立ち寄って、娘と家に戻ると娘はさすがにバタンキューでした。

やっとこの日の22時頃より、秘伝サイトのブログ化仕上げ。先週末には終わってるはずだったのですけど…

それは彼の生誕の日

えーと。
「彼」とは第二子、長男、息子で、名前は顔を見てから考える予定。
2時ごろタクシー乗って、病院へ行きました、嫁が。
俺は上の子の面倒見なくちゃならんので居残りです。
明日は、というかもうすぐ、楽しみにしていた保育園の運動会だったりして。
でも今も小雨だし、天気予報でも曇時々雨らしいので、どっちにしても中止、やることになっても「中止だって」と諭すのです。
それより、朝起きて母親がいないとなると、娘が言うこと聞くかどうか…
いずれにしてもグズるのは必至、少なくとも、俺にとっては二人目さえ無事生まれてくれれば良いのですけど。
ああ落ち着かない。

これからずっと戦力外

この一週間、一度もまともに出勤できなかったのです。
昨日は医師面談予定日ということで、最初から午後休だったので、朝から休んでしまいました。それで、手がつけられなかったメールとか少しチェックできて、昼までには家を出て目白へ。
秘伝サイトの引越しに関連して、早いうちに村松さんのメーラー設定をして差し上げる予定だったことと、現在大詰めのリニューアルサイトの件で。三進トラベルさんにも報告を兼ねてご連絡。
17時には立川に戻ってきて、嫁の見舞い品、ドリップ式レギュラーコーヒーと、『ダヴィンチ・コード』文庫本を購入。ロビーで打ち合わせ中にドクターに呼ばれて、面談となりました。
ドクターによると、入院して急に回復、今後は退院して様子見ましょう、とのこと。さすがに顔が緩んだのでした。それでも、原因としては「オーバーワーク」があったはずで、安静にしないとまた入院、とか。
「オーバーフロー」は、出産退職を勧めて、産休をくれなかった勤務先(入院先)のせいです。
ともかくも、翌日退院となったので安心したところ、娘の面倒を見てくれている嫁の母から電話。娘が発熱しているから早く戻ってほしい、とのこと。
持ち込んだ荷物より多くなった荷物を抱えて、タクシーで帰宅。娘はぐったりでもないので、翌朝平熱であれば保育園に行かせることにして、早めに就寝。
ところがその晩、3時ころ鼻血で目が覚めてしまう始末。熱も高くて、あーあ。
本日、娘を保育園には行かせられないので、嫁の退院を待つしかないのに、嫁から連絡「お金が無いから病院出れない」トホホ。仕方ないので、娘と一緒に来るまで入院先へ。へんてこりんな気持ち。
戻れば戻ったで、娘はお医者さん行きたい!とグズるし、嫁は安静にと諭されたのに、ワッセワッセと掃除選択大忙し、この家に俺の言うことを聞く素直なヤツはいねえ、と憤りつつ11時半ごろやっと家を出たのでした。
勤務先でも、俺はすっかり戦力外作業員となった模様。ふん。
…というわけで、入院ドタバタシリーズおしまい。

初体験 クタクタ感

いつも3時くらいまで、こうしてPCと向かい合っているわけですが、今日は降参、まもなく寝ます。
朝から「娘のご機嫌」と格闘、午前休にしていたのが幸い、起きた時平時なら髭剃りしてる時間だったし、登園はいつもより20分遅くなりました。
そのあと台所片付けて市役所と電話のやり取り。嫁が退職したままで手続きの遅れていた国民健康保険への移行手続きが必要で、午前中は市役所の用事とそのまま見舞い。
帰りにデパ地下で娘のバースデーケーキを購入。帰宅後遅い昼食を取り、勤務先やオフィスちとくの仕事のお客様にご連絡、次いで洗濯機まわしてから、娘のおねしょパンツを買いに出て4時。
保育園のお迎え予定を5時としてあったので、あわてて帰って、夕食準備や片づけや洗濯物干しなどして、結局お迎えは5時半。
7時近くまで、娘の公園遊びに付き合って、やっと帰宅。何度も言ったのに、「なんで入院なの?」と思い出したように娘が聞くから、そのたびに全く同じ返答を繰り返すのみ。「お腹痛いんだって。もうすぐ赤ちゃん生まれるんだって」
バースデーケーキと4本のローソクは、おとなし気味の娘もご満悦、俺も必至で「パンパカパーン」とか「ジャジャジャーン」とか、その他歌とか唄っちゃうし。
誕生日プレゼントで遊びつつ、風呂は下半身だけにして、9時半頃から添い寝&絵本。もちろん、こっちが先に寝そうだったけれども、タイミング良く嫁から携帯メールなどありセーフ。
PCお仕事いっぱい残してますけど、ちっともやる気出ないのです。てゆうか、夕食の後片付けとか、明日の準備とかあるので、仕事か家事かどっちから手を付けようかと考えてるうちに、もうこんな時間。家事終えて寝ないと、明日は出勤なので、シャレにならんのであります。
朝から背中の右半分が寝違えた?ように痛くてウツも有り。胃痛だろうかとも思えたり。
疲れた。いつもなら、PC作業に夢中で「ああ、もう寝なきゃ」という感じなのですけど、今日は一刻も早く寝たい。でもあれもこれもあれもこれも、トコトン落ち着かないので、こんな風に垂れ流しブログに没頭しているという訳なのです。

緊急入院のドタバタと娘と…

今日8日の午前中に、嫁から連絡が来たのです。「妊娠中毒症の疑いもあるから、今日から入院することになった」と。すわ、一大事!
午後は仕事もうわの空、4時半頃には早退、とにかく帰宅したのです。自宅に到着すると、嫁の母も仕事を早退して入院準備を手伝って、娘も既に保育園から引き揚げられていたのでした。ああ。
嫁は俺と入れ替わりにタクシーで入院先へ、娘を嫁の母にお願いして、諸々打ち合わせのため俺だけ病院に出ようとしたところ、娘が「私も行く!」と言って聞かない。
てっきり納得させてあると思ったのですけど、「お仕事」とか言って誤魔化してたらしい。それならギリギリまで娘は預けとけば良かったのに、と憤ったのですけど、どうせ言わなきゃならないし、今更なので言わず、みんなで病院に行く羽目になったのでした。
そりゃあ、不自然な親達の様子を見てりゃあ、3歳の娘にも警戒心を抱かせます。明日誕生日で4歳になるのです。一週間前から、カレンダーを指差して「この日誕生日だよね!」と何度も何度も確認していたから、家族揃って祝ってやれないのが心苦しく、恐らくは嫁もそれが最大の気懸り。
さて、入院病棟に着くと、12歳未満の児童は待合ロビーのような場所から先へは入れない規則となっておりました。「ヤダ!行く!」と、ここから既にうるうるモード。ちょうど嫁が出てきたので、ロビーにて今後の打ち合わせ。
面会期限は19時、娘の夕食が心配になる頃打ち合わせを終えて、いざ出ようとしても案の定、娘は「ママといる!」「ママがいい!」といってその場を動かず。仕舞いにはひいひい泣き出して、嫁も嫁の母もうるうるモード。俺は持ちこたえていたけれど、さんざんやりあって、どうにかエレベーターに乗せて、ちゃんとバイバイして、と手を振らせてエレベーターが閉まった途端「ママア!」と俺の膝に泣きつかれたときには、さすがに目頭熱く…
帰りの車でも、ずっと泣き続けていた娘も、家について嫁の母も交えて夕食という段になると落ち着いた様子。嫁の母が帰った後、風呂に入れて歯磨きして添い寝して10時半就寝。

いやはや、ドラマチックな熱が冷めると、何から手を付ければ良いやら…
秘伝サイトのMT移行が大詰め、三進トラベルのお仕事はGW何も出来ず、その他諸々全然手が足りない。今週のお伺い予定もキャンセル。それより何より、日々の保育園や炊事洗濯、さらには明日の誕生日!
俺と二人でケーキって、不憫で。
嫁の入院先は個室が空いてなかったし、嫁の母は勤め人につき明日は終日勤務、やっぱ、せめて早く迎えに行って、ケーキ食ってプレゼント開けて、嫁の不在を忘れさすくらい俺が盛り上げてやるしかないのでしょう。
みんなガンバレー!ハハハ!

泥んこ遊び

嫁は今月出産予定なので、甲府の実家に一泊してきたのです。
もちろんJR利用。車で二人っきりはまだまだ恐怖なのです。
初めての二人旅、案外泣かなかった。
写真は5日午前、泥んこ遊び。庭がないと出来ないわけで、この日も必死で、やりたい放題でした。
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目標3人だから。

明日の勤務を最後に、嫁は産休となります。と言っても、勤務先は辞めざるを得ないようです。引っ越して最初の子が落ち着いてから、パート勤務を始めた病院。慣れてきて、正職員になった時には妊娠中で、自覚もあったはずという計算で、条件付の正職員扱いとなっていたのです。3月末には退職要求もあったらしい。出産が5月末予定だったから、3月末というのは産休としては妥当です。でも、産休じゃなくて退職せよ、とのことだったとか。まあ、雇う方も妊娠が分かっていれば正職員にはしなかったかも知れないし、正職員に希望出した時は確か、逆算して妊娠2ヶ月目くらい、前後するけどその頃まだ確定はしてなかったのでした。いずれにしても、退職ということになると、お金はなんとかなるとしても、娘が保育園を出なければならなくなるというから困るのです。園児の条件として、親が「共働き」であることが必要で、嫁が無職というのは極めて不都合なのです。そういうわけで、病院に無理を言って、パートで構わないから、と4月中旬まで 勤 務 さ せ て い た だ い て い た、というわけです。
…パートで働き始めた頃嫁は、給与の格差に愕然としておりました。以前の勤務先で7年やってるベテランとしては、1年目の新人より少ないことが納得できない、と。それなら辞めて他を探せばと思うのは私で、嫁は「それなら正職員に!」と発想するのでした。その後、病院側にも話をつけて、私が折れて、正規職員になったわけですが、保育園のお迎えがいつもギリギリ、もしくは規定の7時を過ぎてしまったり、更に家では情緒不安定気味、妊娠中につきとは言え、娘にとって、俺にとって、嫁の正職員は何のメリットももたらさなかったと言えます。
さっさと辞めちまえ、と何度言ったか分からないし、いずれ辞めたら二度と復職させまいとも考えておりました。いざ、退職となると、いささか異なる趣き…
嫁は、明日みんなに食べてもらうから、と夜中まで手作りケーキを作っていたのです。私にしてみれば、「何でそこまでやるか。冷遇されたんだぞ。俺や娘も少なからず負担を強いられたぞ!」という憤りが正直なところ。
娘はいずれ気がつくのです。今まで「お仕事」あったから泣いても喚いても保育園に行かされたけど、今後しばらく母親が家にいるということを。
俺はいっそ自営をはじめて、保育園通園の条件だけでもクリアしてやりたい、と結構本気で思うのですけど、嫁が困惑するようならしないのです。
なぜなら、目標3人だから。尻に敷かれる優男を演じつつ、3人目を産んでもらうまで、我儘は控えるのであります。48時間の子守りも、誰でも出来る作業員も、嫁をして3人目を孕ませるための方便であります。

明日から作業員

と言っても、すでに今日4月3日ですけれども、新しい現場でよく知らない人たちと、PCバージョンアップの作業が始まるのです。
前の現場最終日は、終電ギリギリ23時45分まで引継ぎなどやってたのです。それでも全然足りなかった。本物SE君には申し訳ないけど、土日出勤というのも既に有り得ないのです。ひどい引継ぎだけど、4日間しか重ならなかったし、年度末だから仕方ないのです。
その日、それなりにご挨拶モードで、仲良くなった人々に、お菓子とか買うヒマちっともなかったから、せめてオフィスちとくの仕事の名刺でも、と思って用意はしたけど無駄でした。便所に行く時間さえなかったから!
31日が金曜日だったことは、本当に不幸中の幸い。
4月1日は昭和記念公園で花見、2日は伊勢丹で買い物、48時間家族と過ごしたわけです。娘はトマト組からもも組になるとか。4歳児クラス。ももさんだからと、普段より「いい子」を意識していた模様、あんましプレッシャーに感じて欲しくないし、感じさせないよう注意する必要を感じたり。
嫁は4月からパートに復帰、と言っても正職員からダウングレードなわけです。そもそもとっくに辞めてもおかしくないくらいお腹出てるけど、年度内に辞めてしまうと保育園追い出されてしまうことになるのです。産後どうするか未定、とにかく、娘を4月からも同じ保育園に通わせるための手段として、4月以降も出来るだけ働かなければならないというわけです。
なんか、やるせない、新年度スタート。

胎動を見た!

嫁の勤務する病院で「職員の特権だから」ということで、検診時にエコー画像をビデオに撮ってもらったのです。で、胎動する第二子の映像をビデオで見たのです。
心臓の音まで調べるのですねえ。足の骨とか、胴回りとか、ドクターの画像操作履歴も全部、5分程度の映像で確認できました。

それはそうと、また時間の無い日々が続いてしまって、昨日はサプライズな飲み会があったり…。
以下、書こうと思って書いてないこと。
Operaをインストールしたこと
サファリは結局鬼門なこと
ひなまつりお遊戯会があったこと
4月以降の行き先が決まったこと
昭和記念公園で遊んだこと
第5回ゼミの感想書き込み断念したこと
三進トラベルの打ち上げに行ったこと
…なぜか書いた気になるから不思議です。結局、本人にとっては備忘録なのでしょう。当サイト。

インフルエンザ強襲

嫁が日曜日に高熱を出して、月曜日にインフルエンザと診断されて、14日火曜日は家で休んでいたのです。
いつも家族一巡するから、そろそろ娘か俺が、などと思っていた矢先、14日夜から娘が咳き込みと発熱。
やっぱりなあ、と思いながらも、嫁が休暇を取っているので心配はしていなかったのです。その日の夜、深夜2時頃俺が風呂に入っていたら、「痙攣してる!車出して!」と緊急呼出。あわてて体拭いて娘の寝床を見ると、白目剥いて泡吹いて全身痙攣、「うおい!」とかいって近くに行って声を掛けても反応無し。嫁が人工呼吸している間に119番。駐車場まで5分かかるから。
人工呼吸の甲斐あって、痙攣は治まったけど意識が無い。毛布にくるんで抱き上げて、声掛けながら娘の名を呼び続けて2・3分後には救急車到着、団地の階段を娘抱えて走り降り、無事搬入、すぐに酸素吸入、経過を見て救急病院へ。
着いて診断中に、目を開けたけど、こちらの呼びかけには反応なし。熱は40℃。座薬入れるとき、嫌がって騒いだ。その後主治医となるその時の医師の話の中で、ノウショウが心配だから入院して検査を、とか気になるのがあった。入院病棟へ移動する時、ノウショウについて問いただすと、痙攣を起こした時は疑う必要がある、今回は長い時間の痙攣ではないから大丈夫だとは思うが念のため、とのこと。この時本当に恐くなったのです。脳に障害?「見えないものが見えるといったり、いわゆる、その、変な言動があったら知らせてください」って、本気で言ってるのかコノヤロー!!って腹が立つほど恐かった訳です。
入院する部屋に移動して、説明を受けている間、娘のギャア泣き声が遠くで聞こえて、唯一「痛い」と痙攣時から聞いてなかった娘の日本語に、少し安心。部屋に戻ってきた娘は手に点滴が固定されていて、目がうつろ、ベッドに横にして寝ちゃったと記憶しているが定かでない。その時既に4時半くらいで、我々も翌日の心配をする程度に落ち着いていた。看護士の話では、薬の効果でしばらくは目覚めないと言うことだったので、一旦帰宅して入院の準備をすることにした。
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タクシーで家に戻って、娘の寝床を見た。乱れた枕と慌てて出したアイスノンの類。つい先ほどの痙攣していた娘を思い出して泣いた。でも縁起でもないと思い直してすぐ仕度を始めた。午前中は面会等出来ない規則だったけど、娘が目覚めた時我々がいないとかわいそうだし、そもそも落ち着かないので、とにかく出て再び病院へ。娘はまだ眠っていた。何をしなければならない、というわけでもないけど、そこを動けなかったし、娘を見てないと落ち着かなかった。そんな俺達の様子に気がついてか、看護士が来て言うには、恐らくまだ当分起きないと思うし、しばらくすると看護士の勤務交代があったり、他の患者さんの食事が始まるから、一度引き揚げていただいていいですよ、と。面会時間は午後2時からだと言うし、確かに昨日から一睡もしてないので、またまた一旦帰宅することにした。15日朝7時頃家に着いて、少し食べて、これからのことなど考えた。仕事は無理。15日は休ませてもらうしかない。フライングながら、出勤途中の上司を携帯で捕まえて、手短に連絡し、8時頃寝た。
15日午後2時頃起きて、飯食って病院へ。娘は起きていたけど、反応が鈍く、俺はトコトン嫌われる始末。それでも熱は高くて、まだまだ安静状態、脳の検査なども落ち着いてからでないと出来ない。また、俺の発熱は、病院へ向かう車の中で自覚が始まり、娘の病室内でぐんぐん上がっていった。次第に関節が痛み、立っているのがつらくなってきた。16時頃には、翌日の出勤を断念、連絡。この病院で「タミフル」もらおうと試みたけど、診察は午前で終わってるので、とゴメンナサイされた。娘はグッタリはしているものの、嫁に絵本読みをねだったり、売店で買ったお菓子をつまんだり、峠は越えたというところか。6時頃には娘に入院食が出るらしいので、俺は待合室のような場所に移動して横になった。全身熱くて朦朧としたけど、天井の模様にたくさんの顔を見て、村松さんの「天井画」ってこれかあ!と変な感動したり。しばらくして嫁の母登場、俺は進められるままに、「タミフル」もらうべく、時間外受付をしている嫁の勤務先病院へ向かった。19時半くらいだったろうか、受付を済ませて、少し待って、名前呼ばれてドクターに向かうなり「電話してから出ないと困ります」と叱られた。トホホ。インフルエンザの検査もして20分後結果は陰性。少し拍子抜けした。ドクターに診断されてる最中、嫁の世話になってる看護士さん(嫁が休んだことによりこの方が勤務)が「家族みんなインフルエンザだって言った?」とツッコミ入れてくれたけど、ドクターの診断は覆らず。またすぐ婦長さんが来てご挨拶、この方ウチの看護士の旦那さんで、と言われてドクター若干狼狽。ふん。
それにしても、保険証なしで10,300円は高い、痛い。後日もどってくるものの、残金300円も無かったから、15分くらいバス停まで歩いて、20分くらい待ってやっと乗車。トホホオ。帰宅は9時過ぎとなった。嫁は、娘が寝てから帰宅して、翌朝から入院付き添い体制となる予定で、11時ごろ帰宅。お互い12時には就寝。
16日、嫁は10時頃入院仕度を持って病院へ。俺はまだ悪寒がするので再度就寝。気がついたら午後2時だった。悪寒はなくなったけど、いつもの発疹が出ていたから、本当にインフルエンザじゃなくてただの疲労発熱だったのかも。4時頃、追加荷物を持って病院へ向かった。娘はすっかり熱引いて、明日は退院の見込み。一時はどうなることかと青くなったけど、脳検査も必要ないとのお達し。明日は出勤大丈夫ですと連絡。

ふう。
二日も休んだのに、お仕事出来ませんでした。

なんだか忙しい年始…

今週末に、中大ワンゲルの山小屋へ遊びに行くことになりました。そう、OBなのです。
場所は、豪雪地帯・新潟、上魚沼郡?だったかな。
夏場の深夜でも、車で4時間以上かかるので、この時期とても億劫なのですけど、屋根まで積もるドカ雪を娘に見せてやりたいのです。
そのため、8日に予定されている、ちょっとした新年会をキャンセル。かの「文芸山脈」メンバー上京宴会だったのですけど。
来週以降も、飲み会とか新年会とかポツリポツリ残っているのです。
「文章が上達する学校」と「三進トラベルサービス」の仕事も盛りだくさん。上記画像の瀑友会なんて、全然手が付けられないのです。

下痢や嘔吐を伴う風邪

あばらやに 風邪の一巡 我が家かな

今は嫁がくたばっているのです。
一昨日まで、私が風邪ひいてました。クリスマス直前には娘がひいてました。
流行しているらしい、下痢や嘔吐を伴う風邪。
貰ってきたのは娘だと考えられます。私も嫁も、その症状は娘と全く同じだからトホホです。
誰か風邪ひくと、決まって一巡するのです。

本日は、第3回ゼミなり。
提出課題が失敗作、甚だ恥ずかし。

池袋西口公園デビューです

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25日、会社の忘年会兼クリスマス会の帰りに。
オシャレして、ゴキゲンでした。
はじめての会社行事家族参加、前の日から熱が出ていた俺は、嫌で嫌で現地でもグッタリ、挨拶ひとつしませんでした。嫁も俺に気を使ってか、あるいは知らない人ばかりだからか、イマイチの様子。
そもそも、中途採用で現在一人客先だし、私を入社に導いたⅠ氏は1年前に辞めてるし、ところがそのⅠ氏にだけは愛娘を接触させたくなかったから、頑なにパーティーに連れてこなかったわけで。
コネ無し、やる気無し、愛社精神なぞカケラも無し。
ただ、盛大なパーティーの様子、娘に体験させたくて。
パーティーという形式を楽しめる人になって欲しいと願っているのです。

Office Chitokuの仕事のクリスマス

と言っても別段何も、3歳の娘の親バカっぷり…
娘は22日から熱を出して、23日は何処にもいけず、24日は少し復活して午前中だけヨーカドーなど。
娘向けクリスマス演出、去年はまだ2歳だったし楽チンだったと思うのですけど、今年は3歳、サンタクロースのイメージも出来上がってるようで、あれこれ仕込みました。
プレゼントも仕込みすぎて、洋服類からおもちゃまで、細かいもの入れたら10数点、袋にまとめても3袋以下には出来ず。ちょっと調子に乗りすぎた感あり。それらを置くべき娘の枕元にスペース無し。

明日は、会社の忘年会兼クリスマス会があって、150人?規模ぐらいの割と盛大な催しに、嫁と子供をはじめて連れて行くのです。朝9時には家を出る予定、プレゼントの品々が、朝の貴重な時間を潰してしまう見込み。子供が「行かない!」と言い出す予感…

もんだい

昨夜未明、「秘伝」第183号を発行、第2回ゼミの申し込みにも触れています。募集告知はこれでおしまいでしょう。次回配信時には第3回の詳細掲載予定。

ところで、先月くらいから、今まで絵本一辺倒だった娘の添い寝に「もんだい」をやってるのです。
もんだいごっこ。
「丸くって、赤くって、シャリシャリ食べる、甘くって、ちょっと酸っぱいくだもの、なーんだ」って。
絵本のときと違って、電気消して出来るから、睡眠導入しやすくなった気がします。娘も面白がって、「じゅうやって(10回やって)」と乗り気だけど、10回もやってたら眠くもなるわけで(笑)。
定番はこれ。
「白くって、ふわふわで、甘くって、糸みたいなのをぐるぐるする、割り箸のついた、大きなお菓子、なーんだ」
今週から、簡単な算数のもんだいをはじめてみたところ、1,2,3くらいまでなら出来るけど、それより多くなると難しいらしい。
「バナナを3本買ってきて、お昼に1本食べました。おやつの時は我慢して、夜に1本食べました。さてもんだい、バナナはあと何本か」
こんなんでも、初めて「1本!」と言ったときは、そりゃあ嬉しかったのです。

添い寝眠りしそうだった

最近、娘の添い寝をしたまま朝まで眠ってしまうことが多くて、PCに向かう時間が減ってしまっております。

11月2日に「3D文章塾」通称ゼミへの参加があって、レポート書こうと思っていたのです。まとまった作文になるようだったら地下城に掲載するところですけど、端折ってこちらに。
今回「友人」をテーマに、ウソの文章の中にひとつだけ本当のことを混ぜて1400字で書く、というのが課題。私の提出課題はこちら。我ながら、分かりやすくてそこそこ面白いとは思ったけど、当日村松さんのツッコミほとんど無し!これが結構寂しい!
確かに、もっとツッコミ入れるべき方がいれば、私としてもそちらを優先していただきたいし、限られた時間の中で「よく出来ている」と言われたならば、満足しなければならないと思います。
◇今回の教訓:課題提出は早ければ早いほど、村松さんのコメントがたくさんもらえる!

11月3日は、娘の七五三。府中・大国魂神社にて。それぞれの実家からの参加もあり、朝からひぃひぃ七転八倒でした。同じような家族がワンサカ押し合い状態で、お参り後に配られたのは千歳飴じゃなくって、アメリカンファミリーのひよこの小さいおもちゃ。よく知らなかったけど、テレビCMで人気だとか。「よーくかんがえよー、お金はだいじだよー」と鳴き?ます。F1000112.JPG


11月5日が保育園の「芋煮会」。くっだらねえ!と思っても子供のことだと、なかなかどーしてしぶしぶ出向くパパ。本当にくっだらなかった!子供がやったのは白菜をちぎる行為のみ、あとはお歌とかお遊戯とか、バザーとか先生方の出し物!呼ぶなっつーの俺を!
写真は、そんな間延びしたイベントに飽きた娘が、独りで水遊びをしているところ。「つまんないっ」て叫んで帰っていいぞ、さすが俺の娘だど一人ごちる親バカ。
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今日も家族とずっと一緒で、あやうく添い寝眠りしそうだった。昨日も一昨日も添い寝眠りだったのです。
村松さんから新名刺の打診あり。
なんちゃってSEは3月までということになりそう。

by村松恒平

村松さんの久々のイベント、というか講習会?ワークショップ?
めでたく開催決定、10月1日土曜日の午後2時半から目白にて、
「心と言葉のチューニング」という副題。
詳細は「文章が上達する学校」
12日月曜日のメルマガで正式告知となり、現在までに7件くらいの申し込みです。
7件?とバカにしちゃあいけません。もう定員3分の1に達しているのです。
chitokuはもちろん参加予定です。
なかでも「へたうま書道」に期待大!ウレシイ企画です。

…文芸ファクトリーその後
ちまちま進んでおります。
全体のイメージは、編集長考案「どこまで何人に読まれたか分かるシステム?」をメインに、書く人は会員登録制、読む人には完全オープンな仕組みの研鑽サイト、というところでしょうか。
毎月メルマガを発行して、作品のダイジェスト版を載せるという、サイト誘致の企画も平行で進んでおります。
サイトはOffice Chitokuがやっておりますが、ペース遅いです。本当に時間が足りなくて。
苦肉の策として、MT、XOOPSetomiteに続く、CMS利用第4弾「pagetool」で作成中なのです。
CMSの何が良いって、自宅じゃなくても作れるから!

全身打撲のような…

筋肉痛。
結局、行ってきました。
写真は、川乗谷本谷林道内での前夜泊サイト。
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本谷遡行は、大きな釜などの泳ぎがメインで、それこそ大はしゃぎなんですけど、ココは登攀要素も強く、軟弱な私は握力ほとんど使い切って、後半ザイルで引っ張り上げてもらってばかりだったのです。
それでも、また行きたい・・・

沢屋のプライド

今度の土日に、一泊の沢へ行く話しがあって、当然行きたいのはヤマヤマだけど、どうしても気持ちが向かない…
最近ずっと土日と言えば出かけていて、先週は実家の甲府へ、その前は新潟へ、それでOffice Chitokuの仕事の仕事がちっとも進んでいないのです。
村松さんのメルマガ原稿上がってるし、三進トラベルさんのサイトは、夏休み集客に向けてグレードアップしなければならないし。
さらに言えば、4月からなんちゃってSE職に就いて、ほとんど運動らしい運動していません。それまでは少なくとも、営業さんなりにたくさん歩いていたから救いもあったのですけど、電車や階段が本当にキツい。現在の猛暑でも、ずっと冷房の効いた屋内勤務で、心底自分の体力に自信がないのです。
だから、今回の沢、詳細未定だけれども、遠慮しとこうかと。
すると今度は、嫁が「弱気だー、行けばいいのに」とプレッシャー。我ながら情け無い始末。
でもねえ、今回のほかのメンバーは現場、ガテン系だから、俺が足を引っ張るかもしれないのです。それに、金曜夜はOffice Chitokuの仕事の仕事をたっぷりこなす必要があるので、土曜早朝発だと寝坊の可能性も有り。
こう、くどくどと行かない言い訳を連ねると、本当に情け無い気持ちになります。
今年は、まだ一度も行ってない、大好きな沢登り、こんな気持ちで行ったらダメなのです。
でも、行かない自分はカッコ悪いと思います。
プライドとは、かくも厄介なり。

個展の最終日に

今日は、村松さんの個展最終日。行きたかったけど、子守りをしなければならないハメになった。
木曜日に行ったときには、デメ研の橘川さんとお話できたし、初日は写真家 豊浦正明氏が飲んでいた。chitokuは人見知りだから、そんなに沢山話せなかったけど、まあ馴れ馴れしいよりいいか、と…これがいけないのである!!
そういうチャンス、村松さんの周辺の、素敵な仕事をしている方々に、いろんなところでお話しする機会をいただいているチャンスを、いっつも見ているだけで、その場限りで終わらせてしまっている。残念なことなのです、もったいないことなのです。
ところでその橘川さん、村松さんの初期WEB活動と密接だった「デジタルメディア研究所」の所長さんとして、名前だけ聞いたことあったくらいで、でもお話聞くと、いろんな有名・無名の雑誌の創刊とか、地上げ屋とか、各種シンポジウムの主催とか、大企業の相談役とか、その他執筆・編集、万博でもスペースの割り当て1週間あって、村松くんどう?なんて…
やっぱり、違う世界の人々なんだろうか。俺は今の世界で終わるんだろうか。嫁と子供は邪魔だろうか。たくさんの面白いお話、聞けば聞くほどへこんでしまうchitokuなのでした。

また、日記…

昨夜は三進トラベルさんで打ち合わせ…と思いきや、その一週間前に設置申し上げた「LANDISK」、まだ使ってないとのことで、最初から説明。その後、複数メールアカウントの複数ユーザー運用についてのコンサルティング。韓国旅行の仕事、本当に忙しいみたい。
今日は村松さんの事務所で打ち合わせ。サイトリニューアルについて、全面PHP化の方向でご承諾、報酬も若干アップ!その後「飲み」にお誘いいただくも、やむなく辞退…
昨夜も遅かったし、明日の晩は職場の新年度飲み会とか。今日は娘とじゃれておきたかったので。
ところが帰宅すると、ちょうど寝付いたところでございました。
***
先週末、嫁の妹が出産、親戚一同初孫として可愛がられた、娘のハッピーオンリーの日々は終わるのです。やっと終わる。嫁の妹、よくやった、おめでとう!

殴られたらヘコもう!

でないと、殴ったこっちがヘコみます。
付き合って10年?11年?初めて平手打ち。4月10日は記念日になった。
ところで、本当なら家にいたくない状況でも、夜は帰宅していつものように寝なければならないのが、何と言うか、非常に不利なことだと、いつも思う。
怒っているのに、憤っているのに、更には許していないのに、必要最低限の会話を、ギリギリ揉めない程度に調整しつつ、やり取りしなければならない。
黙ってお互いムスッとしている気まずさなんて余裕。
いつもと同じように飯を食って、風呂に入って、眠って、次の日起きて出勤するまでの、何故か敬語交じりの、必要最低限の、目を合わさない会話!
…お金があったらねえ!別宅とかあったらねえ!

家の中では、炊事・洗濯などがメインの動きで、そこで親父の出る幕は無い。狭い団地だと、引きこもる部屋も無い。メインに参加できないと、居場所が無い。傍目にもぎこちなく、落ち着かない。嫁は、メイン業務でシャキシャキ動くことが出来、その狭い家の中では、自信たっぷりに見える。
不利!

殴った俺を睨み返した表情は、俺の母親が俺の親父に殴られた時と同じだった。
親父と同じにはなるまい、と小学校の時から誓っていたけど、同じになりそうな気配。
俺の嫁は違う、と思っていたけど結局、親父を憤らせる天才の、俺の母親と同じかもしれない。

文章王のBlog!

文章王・村松恒平氏のWeblog成る!
タイトル
「セクシー! モテモテ! 金がドンドン儲かる北京の文章術ビジネス」…トホホ
とは言え、まだ準備中で、これからいろいろデザインなどいじられる見込み。
それでも、テキストは面白いのです。「文藝ブログ」にお勧めしないと。てゆうか、格が違う。

祝!村松恒平氏のご退院

「プロ編集者による 文章上達<秘伝>スクール」の村松さんが、本日退院だったのです。
主催サイト『文章が上達する学校』での退院第一声は、秘伝BBSに。
今月は、待望の【秘伝】シリーズ第3弾『書く人』の出版が控えているし、4月からは「言葉のクロッキー」2005年度版が始まるのです。
いかにも年度末な、喜ばしいニュースなのでした。

【秘伝】も遅延…

『メールマガジン:[プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール』の発刊も遅れております。
原稿は、とっくに頂いているのですけど、発行係の私が発行出来ずにいるのです。誠に申し訳ございません。
こちらでお詫びするのに訳があって…
メルマガの内容で、秘伝サイトの新しいページをご案内しているのですけど、要はその作成作業が進んでおらず、今日も作業をと思ったのですけどFTP接続が出来なくなっていた!
サイトも閲覧出来ない!メールも停止!?
というわけで、ホスティング会社に問い合わせをしております。Whoisで見ると、ドメイン期限がせまってました。その関係かしら?または契約期間過ぎている?
いずれにしても、サイト見れないとお話しにならないのです。
い、言い訳じゃないのですけど。

三度目の文字盤コミュニケーション

本日(2月17日)、三度目の村松恒平氏お見舞い。また手ぶらで(笑)。
今回は、前・秘伝サイトマスターAleck氏と待ち合わせして伺う予定だったのに、私の都合で待ち合わせ失敗、30分も遅刻して病棟に着くと、二人して、ロビーのような場所でお座りになっていました。
すでに院内なら自由に動けるらしく、リハビリなどももう要らないようです。但し、未だおしゃべりは出来ず、いつもの文字盤コミュニケーション。
ぱっと見元気なだけに、まだ退院のメドが立たないのが、何よりお気の毒でありました。
私は会社の入札案件などで長居できず、Aleck氏が用意してくれた次期「言葉のクロッキー」用データFDと、村松事務所のキーを入手して、早々に失礼させていただいたのです。
文章王・村松さんへのお見舞いは、とりあえず「秘伝BBS」へどうぞ。

大穴スキー場でした

温泉&スキーで利用したスキー場は大穴スキー場。「大穴」は地名で、穴場かも知れないけど、のんびりムードのファミリーゲレンデでした。(写真は最上部から)
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2歳9ヶ月の娘は、ソリと雪だるま。その世話で汗だく、ヒイヒイで殆ど滑らなかったのです。
まあ、デビュー戦にしては上出来、混雑したスキー場じゃなくて正解、温泉も何度も行って、すっかり皮膚ガサガサなのでした。
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また村松さんをお見舞い

またまた、村松さんをお見舞いしてきました。
前回より具合良さそうに見えるのは、痩せてアゴ下のお肉が無くなったせいかも。
入院している病院の看護婦さん、とてもハイグレード?であることについて、
「女は皆、権力に集まるからね。」
と、極めて切ない、救いようの無いお言葉…

他に、天井画なるものを拝見したのです。
次回「秘伝」メルマガにて告知予定。告知というより、「こんなにヒマでーす、レポート」みたいな。
それ、サイトで閲覧できるようにしておいて、とのご指示アリ。
なので、まだ画像アップしただけの、作業中ページをナイショで特別公開するのです。
こちらをどうぞ⇒天井画

【文章秘伝】復活か

ここで言うのもなんですが、
[プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール 久々に配信されました!

主催・村松恒平さんは、まだ療養中なのですけど、メルマガ執筆は、村松さん50年来のご友人、かの松尾さんなのです。chitoku@よろずやも、若干紙面を頂いたりして。
以下、少し抜粋…
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そして、2005年3月、満を持しての第3弾!
 □■■『書く人 [プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール参』■■□

3冊目の<秘伝>は、もはや『文章読本』を越えて、『人生読本』の域へ!
村松恒平が命がけ、生命を削るようにして書いた、この『書く人』に、乞ご期待!

次号、メルマガにて目次公開。COMING SOON!
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村松さんをお見舞い

先日の木曜日、村松さんのお見舞いに行ったのです。
そう、【秘伝】の村松さん、本当にダウンしているのです。
詳細は、次号【秘伝】マガジンでご報告しますが、1時間半も滞在してしまった。帰る時は、なんだか申し訳なくて、何がって退屈そうで寂しそうで、自分だけ逃げるような気がして、あやうく泣いてしまいそうでした。
痛々しい村松さんへの励ましは「秘伝BBS」へどうぞ。

また、おたふく…

先月末、ようやく娘のおたふくが終わったのに、今度は嫁がおたふく罹患。
職場は今週一週間、休まざるを得ないとのこと。
娘が元気だったら全然問題ないのですけど。
ちょうど月曜日、娘も発熱、小児科で見てもらったら気管支炎だとか。
なので、嫁と娘は発熱同士仲良くずーっと家の中で過ごしているのです。
月火水、今日で三日、「合宿」なんてもんじゃないご様子。
イライラとウツウツで、お互い代わりばんこに泣いてるらしい…
「俺じゃなくて良かった」と思う反面、帰宅すると「俺も病気になって境遇を同じくしたい」と思うのです。
酔ったモン勝ち宜しく、風邪引いたモン勝ち!だったりするのです。

72時間の合宿終了Ⅱ

娘の「おたふくかぜ」のため、またまた3日間の合宿となったのです。
一日目、ひたすら娘と二人で過ごす。痛々しい程の膨れっぷりに、笑いをこらえつつ。外出なし。
二日目、同様。妻もいたけれど、余計イライラするのみ。夜、レンタルビデオ他、1時間くらい外出。
三日目、午前中、久々に娘を連れ出して近くを散歩。30分くらい。午後、バスで国立散策を試みるも、「だっこ責め」に妻が降参、1時間で撤退。
昨日今日天気が良かったので、意外と鬱にならなかった三日間だったのです。サイト更新も少々。
キャピタルアートさんのサイトに、KOMONETさんのスクリプトを積極導入。著作権削除ライセンス?を初めて購入したのです。700円は安い!と思ったので。カンパみたいな。
あと、「よろずやちとく」の村松さんコーナーも更新。『ほとんどすべての人のための《神様学》入門』 のダウンロード販売を開始しました。よろずや独占です。

72時間の合宿終了

きつかった、72時間の合宿が終了します。
三連休、台風やら雨やら、あんまり関係なかったのです。どっちにしろ、嫁・娘とみっちり三日間。
一日目は雨風強くて、午前中のうちにイトーヨーカドーで買い物。(外出約3時間)
二日目は井の頭公園。(外出約4時間)
今日、三日目は近所に散歩。(外出約2時間)
それ以外、すーっと家の中で、まったりまったりしていたのです。
平日よりも、オフィスちとくの仕事が出来なかった。
多分、パパとしては上出来、chitokuとしては無為に過ごした三日間。
明日から、また債権回収の鬱。今までは、お気楽だった平日も、最近嬉しくないのです。
こういうとき、文句しか出てこない、凡人の脳ミソ。

風船職人に出会った…

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先日、南大沢のアウトレットモールに行きました。
娘は、終始ぐずってましたが、風船職人SHINOさんに「風船フラワー」作ってもらうときは上機嫌だったのです。
SHINOさんは、気さくで優しい芸人さんでした。

2歳半の娘の発語から

ウチの娘、最近やっと「主語」「述語」を言えるようになった程度ですけど、人並みにイライラすることは多い様子。しかも何につけ「自分で(じぶんれ)」と言って聞かない。
例えばズボンをはかせようとすると「じるんでやるの」と言うから、じゃあどうぞと好きにさせると上手くいかず、仕舞いにはキーッとなって「むなくそー!」と言うのです。
本人は「難しいよお!」と叫んでいるのらしい。食事中も、遊んでる時も、「むなくそ!」の連発です。ハハハ。頼むからヨソで言わないで欲しい。

■BlogPeopleで「トラックバックピープル」という企画が始まったのです。


「BlogPeople トラックバック・ピープル」を利用すれば、BlogPeople内に設定された特定の話題にトラックバックを送ることで、その話題に興味がある人とのつながりを簡単に作ることができるようになります。

そこで早速、地下城@chitokuとして「文芸ブログ」を設定してもらったのです。
そしたら、もう3件くらいトラックバックがあった様子。
地下城を一番にしたかったのですけど。
自分でもトラックバックしないと、全く意味無いのです。

だからというわけじゃないのですけど、「子供のおかしな言い回し」 というカテゴリに、こちらからトラックバックしてみるのです。

公園で水遊び

今日は涼しいけど、最近、「公園で水遊び」が続いていたのです。
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甲府/小瀬スポーツ公園(無料)

小平市/中央公園(無料)


府中市/郷土の森博物館(大人200円)


格安ながら、子供も大喜びです。
弁当持参がお勧めです。

宮古島で手足口病

サーバーの引越し中というのに、家族旅行だったのです。
初めての沖縄・宮古島!シュノーケルセットと、簡易テントと、浮き輪類と、ビーチサンダルと、3日分の着替えを背中に背負って、意気揚々と羽田-宮古島直行便に乗り込んだのです。
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直行便の出発は早く、家を4時半に出たのです。前夜、8時には娘を寝かそうと、あれこれ努力はしたのですけど、寝たり起きたり、結局11時半まで添い寝して、そのとき少し熱はあったのです。
それでも、数時間後には出発、すでに当日につき、キャンセルなど眼中に無く、予定通り出発したのでした。
可愛そうなのは娘なのです。宮古島に着いたその日に40度の熱を出して、終日ぐったりしたり、ギャア泣きしたり。海どころじゃないのです。病院へ行くことも検討したけれど、発熱以外に症状は見られず、こういうとき医者に行っても解熱剤?座薬の類を出されるだけなのです。「興奮しちゃったかなあ」とか「暑さにやられたかなあ」とかいって。
2日目も、熱はあまり下がらず、元気になったように見えるけど、食事を嫌がって泣いてばかり。観察を続けているうち、口の中に出来物を確認、「お口痛いの?」と呼びかけて以降、「お口痛い!」の数時間置きにギャア泣き、つまり、その発病を知らず無理やり連れてきてしまったわけなのです。
最終日には、熱は下がったので、多少の砂浜遊びは出来ました。我々も、泳いでないのにヘトヘトでしたが、娘こそ大いに可愛そうだった訳で、ちゃんと反省。
大騒ぎしてしまった直行便、JTA021、022で同乗された皆様にも、ここでこっそりお詫び申し上げます。

おいらん淵を泳ぎに行きます

7月1日配信予定の「Office Chitoku 通信」、いまだ発行に至らず。
言い訳するならば、1日の夜、いつもはシカトの、中央大学ワンダーフォーゲル部OB会理事会に出席する羽目になり、飲み会も参加、遅く帰ってバタンキューでした。次の日は、何も予定が無かったのに、広島にUターンしていたはずの後輩から4・5年ぶりの電話。本日出張で来て、明日帰るというから、急遽帰り道、渋谷まで出て合流、ちなみにこちらもワンゲルなのです。
普段、アルコールを飲みなれないので、2日連続はキツかったようで、本日水下痢、家族三人おとなしくしておりました。
今宵こそ、と思いきや、またしてもワンゲル(瀑友会)から連絡有り。明日「おいらん淵」へ行こうとのお誘い。もちろん二つ返事でOKですけど、今夜は夜更かしできないわけです。

おいらん淵は、心霊スポットとしての方が有名ですが、「泳ぎに行く」というのは、山行形態のひとつ「遡行」もしくは「沢登り」として遊びに行くということなのです。おりゃー!
…で、メルマガは?

動物園2連ちゃん

先日の土曜日に、上野動物園に行ったのです。その前の週は、多摩動物公園に行ったのに。
娘は、相当「動物園」が気に入った様子。片言ながら「キリンさん見たのー」、「ヤギさんいい子いい子ちたのー」と、毎日1回は動物園ネタの言葉が出るので、「気に入った様子」と親の解釈。2004-0619-1058.jpg
動物園は、他に「羽村動物園」に行ったことがありますが、去年の9月なので、娘が覚えているかどうか。「動物園」という認識ではなかったかもです。
私は、羽村動物園が気に入っています。こぢんまりとして、さほど疲れないし、人もそれほど多くない。上野動物園は、通路が狭くて減点。人の多さも、車で行けないことも減点対象です。多摩ドーは、広すぎて疲れるのですけど、家から車で30分、上野へ行くよりは楽なのです。

子守で欠勤3

久々に子守欠勤、最近雨や曇りが多かったのに、こういうときに限ってお出かけ日和だったりする。洗濯、布団干し、食器洗いは平気だけど、ぐずる子供には閉口。近頃は、アイスクリームに混ぜた薬も嫌がって、なかなか飲みません。無理強いするとギャア泣きが何時間も続くので、わがまま受け入れ放題。だって、安静にと医者が言うから。
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もう、うらみごとなら、

言うのはやめましょうby中島みゆき
昨日、保育園のお別れ会がありました。妻の勤務先付属の小さな保育園が、3月いっぱいで廃園、全園児10名前後は、新年度から別の保育園に通うのです。
なぜか「お父さんも是非」という呼びかけに乗って、私までも列席させられたのでした。7家族くらいだったと思います。お父さんは3人。もちろん私は、黙って「お花見弁当」を食って、ビールを飲んでいただけでした。
写真の隣は「ゆうくん」で、仲良しらしいのに、この日は不機嫌で、途中からギャア泣きが始まって、少しも楽しめなかった様子。家に戻って眠りながらも、しゃくりあげ止まず。
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本日は、絶好のお花見日和となりましたが、娘は熱を出して、どこにも行けない我が家です。父はこうして、PCに向かうことが出来るのです。

保育園効果…

今日、家に帰ると、娘が初めて「おかえりー!」と言ったのです。はっきりした「お・か・え・り」では無いけれど、素直に感動。
最近、言葉の習得が盛んで、「あそぼー」とか「くきくきー(スキスキー)」とか「うん」とか、一応正しい用法で使うのです。現在1歳10ヶ月。いよいよ可愛い盛り。
そこで気になるのは、私の場合「保育園効果」なのです。去年の10月から通っているのですけど、急に、言葉(前述)を覚えだしたり、遊び方(積み木やパズル)が上手になったり、保育園に通っていなかったら、違っていたはず。「そりゃ良かったじゃん」て話しなのですけど、初めての「あそぼー」や、初めての「積み木積み」に立ち会えなかった!全て保母さんに導かれ、保母さんはそれらを目撃している!
そう考えると、若干複雑な心持ち…
ところで最近、テレビ視聴時間のニュースをよく目にします。曰く、

 ◇言葉発達に悪影響、親と視線合わさず
 2歳児まではテレビ・ビデオの視聴を控えめに――。日本小児科医会(師研也会長)は6日、「子どもとメディアの問題に対する提言」を発表し、乳幼児がメディアに接する時間を制限するよう呼びかけた。テレビやビデオを見る機会が多い乳幼児に、言葉の遅れや他人と視線を合わさないなどの問題が多く見られるという。同会は近く会員の約7000小児科医に対し、メディアの視聴時間などが記入できる問診票を配布し、本格的な実態調査をする。(毎日新聞)

やっぱり気になるのです。「視線を合わさない」わけではないのですけど、じーっと覗き込むと、ぷいと別の方を向いてしまうことはあるのです。
今のところ、ほとんどテレビは見せないのですけど、土日は子供番組の再放送を結構見るし、爪きりとか髪切りなどの際に、録画した「お母さんといっしょ」など見せて落ち着かせたり。それでも、平均1時間も無いはず。
ところが、家で見たことの無い、アンパンマンの歌や台詞の真似をするのです。保育園である程度見ているらしい。保育園効果…

甚だ恐縮なる出来事 其のニ

「20年来の友人」が、アイデアを本にしたいとのことで、文章修業として日記をつけ始めました。それは結構なことなのですが、地下城@chitoku として助言を求められたのです。彼の意図は、どちらかと言うとビジネス書の類、お役に立てる自信がないので、例のごとく村松さんの「文章秘伝」ツール類を紹介しておきました。

ゲリゲロ!

また、娘の風邪をもらってしまったのです。バカです。
先週から娘は、下痢と嘔吐を伴う熱が出て、親も交代で休んだり、嫁の実家の母にお越しいただいたりしていて、年末大丈夫かなあと心配していたのです。
週末には熱が下がってきて、先日の土曜日には、久々の入浴。
日曜日も、娘の体調はそれほど悪くなく、もう平気かと思ったら、私が急に具合悪くなって、夕食が摂れず激しい水下痢がジャージャーと。
何度もジャージャーやって、もう無いかとおもったら、昼飯を嘔吐。直後高熱。
娘とほとんど同じ症状に愕然とした次第。
風邪の娘の食べ残しには懲りました。意地汚く、もったいないと食べてしまう自分を猛烈に反省。
汚い話しで恐縮です。
1歳7ヶ月03/12/09
上は恐縮ついでに娘のいい顔画像。

後頭部

娘の風邪を貰ってしまいました。
風邪は、常に家族を循環します。
気をつけてはいるものの、娘の食べ残しを食べてしまう、意地汚い性分の故なのでしょう。
恐らく、菌というか、風邪の原因は、私が満員電車などから拾ってくるのです。
免疫の、未だ微弱な娘が冒されて、その娘の食べこぼしで親が風邪を引く…
「虫歯は親から」と言うので、我々の食器は娘の口に入ること無いのに、とほほ。
■写真は娘の後頭部。見えにくいのですが、つむじが二つ(私は三つ)並んでいて、右が時計回り、左は逆回りで、間の毛が行き場を失って落ち着かないのです。
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  • 子守で欠勤2

    またしても子守で欠勤したのです。
    先日の日曜日に、狭山公園で遊んだのです。2003-1019-1231.jpg
    熱もなく元気は良かったけど、病み上がりと言えば病み上がり。その前の日から、何度か下痢もしていたのです。
    とはいっても、とにかく外に出たがるので、ずっと家で遊んでいると、ひどく泣いてストレス溜まりそうで。子供が。
    その日曜日の夕方、発熱いたしました。鼻とか喉は平気そうだけど、今会社でも、腹に来る風邪が流行ってるとか。2003-1021-0923.jpg

    それで、次の月曜日は、微熱ということもあって、妻が面倒を見つつ、保育園にも行かせたのですが、熱は下がらず。今日のお休みが決定。

    本日、起きてみると熱は下がっていました。
    でも、会社には休むと伝えてあったし、保育園も1日休ませた方が良かろうと、私がお子守りしているのです。

    子守で欠勤

    今日は娘が熱を出したので、勤務先お休みさせていただきました。
    だって嫁が、復職2日目で、休ませたくなかったから。
    たまたま見つけた、国家公務員に準ずる待遇の、保育園付きパート、自給1400円位、本人も私も大いに気合が入っているのです。
    1日目はオリエンテーションのみだったとか。だから実質、勤務初日なのです。10月1日からで、土日休みだから、3日まではお休みすべきではないと思います。
    娘も同じく1日から保育園で、最初のうちは慣れなくて、皆風邪引いたり熱出したりするものだと聞きますし。
    ただ、気になることが一点、昨夜12時ごろ、寝ていた娘が突然、しめじを3本吐いたのです。夕食に丸呑みしてしまったものと思われ、丸ごと出てきました。その直後から喉がゼイゼイ言うのです。恐らく胃液で粘膜が炎症を起こしたのだろうと、すぐまた寝てしまった娘にほっとしたのです。
    ところが今日になって発熱、まだゼイゼイ言うので、ちょっと不安ではあったのです。
    妻を見送った後、娘をかかりつけの小児科に連れて行きましたが、特に心配する必要は無いけれど、明日も保育園は休んだ方が良いとのこと。

    3時半ごろ妻が戻るまで、娘と初めての二人きりでした。
    昼頃から熱が上がってきて、食事もほとんど食べず、こっちまでぐったりするほど長い時間だったのです。
    熱は39度6分まで上がり、座薬でごまかし、夕食はそこそこ食べて、10時ごろ寝付いたのです。まだまだ高熱、今もゼイゼイ言っています。咳、たんは無いので、ウイルス系ではない気がします。たまに苦しそうに寝返りを打って少し泣くので、私もなかなか眠れずにいるのです。

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    昭和記念公園

    来月から、妻は勤めに復帰し、1歳4ヶ月の娘は保育園に預けることになります。
    当サイトの更新にとっては、おそらく吉。なぜなら、私以外は早寝早起きとなり、夜のPCタイムが長く取れそうな気がするので。
    先日は昭和記念公園で遊んだのです。
    天候も良く、家族連れで賑わっておりましたが、ちょっと多すぎ。平日休みを取ったら存分に満喫できるのでしょうけど、それもしばらく考えにくいのが残念です。

    ウェディングビレッジ

    先日、同僚の結婚式がありました。人前式という、チャペルなのに神父のいない結婚式。賛美歌斉唱なかったのは幸いでしたが、父上に手を引かれる新婦を見たかったような。
    式場、披露宴はパルティーレ東京ベイウエディングビレッジ。「庭」にこだわった、OPENな建物で、リアルタイムに調理される食事が美味いのです。ホテルの式場と違って、他家とかぶらない演出も定評があります。
    じつは我が家も立川のそれで2年前に。

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