- 2006年12月 4日 03:41
- Other trivial things
25日、立川のダイソーと娘のプール。
26日、昭島で買い物か。
27日、23時まで勤務。
28日、同じく。
29日、通常勤務、久々の子供達。6ヶ月の息子の未熟な「はいはい」に感動。
30日、21時まで勤務。新宿現場終了。
1日、池袋勤務、と言ってもすることなし。できることなし。
2日、昭和記念公園。プリキュア映画のビデオで、娘が涙、テレビで初泣き。夜、奮闘するピーターアーツに感涙。
3日、主に団地の公園にて。昼食だけなぜか国立のロイホ。近辺に授乳施設が無かったから。
相変わらず5月病状態が続きます。
三進トラベルさんの韓流EXPO催行の27日以降は、本当に何の緊張も無く、なんちゃってSEの仕事と家族オンリーの日々。
気が付いたらヤフオク出品のひとつが終了してるし。安すぎた。
いじめ自殺で、いじめっ子をどうするとか、学校がどうするとか、行政が相談口を設けるとか、、、どう考えても枝葉末節に思える。
いじめられている、もしくはいじめている我が子に、親は気が付いていたのか?子育ての範疇ではないか?
子供は親に、いじめられていることを打ち明けられなかったのではないか。
家庭ないし家族に、それを受け入れる余地が無かったのではないか。
いじめられているという告白を拒絶する雰囲気があったのではないか。
「助けて」のサインに対して「だいじょぶだいじょぶ」みたいな軽々しい受け答えはしなかったか。
あるいはそのサインを「甘え」と解釈して、逆に説教したりしなかったか。
俺だって未熟者だけど、子供の自殺という凄惨事の責任は親にこそある、そう考えたいのです。
死ぬほど思いつめた子供の心、親以外に誰が受け止める?
いじめられた告白なんて出来っこない、それならば気が付いてやれる環境が必要だし、気が付いたならば至急事実確認、次いでいじめる側への抑止行動および転校の検討、、、難しいけど、何年か先、実行しようと思います。
…児童虐待…近隣で気が付いたならばしかるべき機関に通報…なんてことを考えた時、どんなに酷い親だとしても、子供にとっては唯一の親で、引き剥がされでもしたらやっぱり子供は、泣いて親の名を呼ぶ…
やっぱり、子供の問題は、親に帰す他ないと思うのです。
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